酸ヶ湯温泉(すかゆおんせん)

目次
酸ヶ湯温泉は、青森県青森市荒川南荒川山国有林酸湯沢50番地、八甲田山西麓に在る「酸ヶ湯温泉旅館」一軒宿の温泉

酸ヶ湯温泉へのアクセス
鉄道経由 : 東日本青森駅からJRバス東北十和田北線で約1時間、酸ヶ湯温泉下車徒歩1分。
車 : 青森道の青森中央I.CからR103経由で約40分。または、東北道の黒石I.CからR102~R394経由で約45分。
酸ヶ湯温泉の概要
酸ヶ湯温泉は、青森県青森市荒川南荒川山国有林酸湯沢50番地、青森市中心部から南の八甲田山西麓(標高890m)に在る「酸ヶ湯温泉旅館」一軒宿の温泉です。冬は日本有数の豪雪地帯で最高平均2mに至ります。湯はその名の通り強い酸性です。元の温泉名は鹿湯(しかゆ)で、江戸時代前期の1684年(貞享元年)に、狩人が追っていた手負いの鹿が温泉で傷が癒えた事に気付いた伝承に拠ります。すかゆは読みの“しかゆ”が変化したものとも言われます。
江戸時代の地元の湯治場から明治、大正、昭和と徐々に旅館部などを増築して現在の規模に至ります。1954年(昭和29年)には、四万温泉、日光湯元温泉と共に国民保養温泉地第1号に指定されました。八甲田山中の一軒宿で登山帰りに立ち寄る登山客も多い上、豊富な湯量と各種効能から温泉目的の客が多数訪れることもあり湯治用宿泊棟が設けられているなど宿の規模は大きいです。名物は80坪の「千人風呂」。総ヒバ造りの体育館のような巨大な建物で、大きな浴槽2つ(「熱の湯」、「四分六分の湯」)と打たせ湯(湯滝)があります。脱衣所は男女別だが中は混浴です。ただしまったくの混浴というわけではなく、大浴槽は中央半分に目印があり、そこで男女が区切られています。温泉浴場として千人風呂の他に、こぢんまりとしており男女別の「玉の湯」があります。千人風呂に洗い場はありませんが、玉の湯には有り体を洗うことが出来ます。近隣の「八甲田ホテル」は酸ヶ湯温泉グループです。世界的に有名な版画家で「棟方志功」画伯も酸ヶ湯が大好きで、湯治をしながら作品を彫られたそうです。館内には志功画伯の作(柵)となる版画・書が多数飾られているそうです。千人風呂の混浴が名物ですが、混浴マナーの低下から女性客の苦情が多くなり、2004年(平成16年)6月には目印の辺りに間仕切りが設置されました。しかし今度は間仕切りに対する苦情が増え、同年10月に撤去されました。その後2005年(平成17年)4月に常連客が中心となって「混浴を守る会」が発足し、常連客を代表して三浦敬三氏(ご子息が三浦雄一郎氏)が男性側の代表に、中村哲子が女性側の代表に就任しました。宿の中に看板を設置するなど、混浴マナーの維持活動が行われています。後に三浦氏の逝去に伴い男性代表は写真家の浅井慎平氏となりました。1954年(S29)に国民保養温泉地に指定されました。
酸ヶ湯温泉の泉質等と適応症
酸ヶ湯温泉の泉質等
酸性・含硫黄-ナトリウム-硫酸塩泉(硫化水素型)総湧出量495ℓ/min、自然湧出、源泉掛け流し、源泉温度・湧出量は各湯船ごとに異なります。湯色は白濁で硫化水素臭有り。
各湯船
熱の湯 源泉温度48.1℃、湧出量110ℓ/min
冷の湯(大) 源泉温度64.8℃、湧出量94ℓ/min
冷の湯(小) 源泉温度69.7℃、湧出量25ℓ/min
鹿の湯 源泉温度67.6℃、湧出量169ℓ/min
四分六分の湯 源泉温度56.7℃、湧出量97ℓ/min
渡り鳥の湯 源泉温度76.1℃、湧出量不明
酸ヶ湯温泉の適応症
浴用 神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、慢性消化器病、痔疾、冷え性、病後回復期、疲労回復、きりきず、やけど、慢性皮膚病、動脈硬化症、虚弱児童、慢性婦人病、糖尿病、高血圧症
飲用 -
八甲田山(はっこうださん)


八甲田山(はっこうださん)は、青森県のほぼ中央部で青森市の南側にそびえる大岳(標高1,585m)を主峰とする18の山々からなる複数火山の総称で、日本百名山の一つです。青森県の最高峰「岩木山」の標高1,625mに次ぐ高さです。約20km南には十和田湖が位置し、東北地方の脊梁奥羽山脈の北端に当たります。八甲田山周辺は広く十和田八幡平国立公園に指定されており、田代平や寒水沢上流の一部を除く広い範囲が国有林や保安林に指定されている他、大岳周辺から蔦温泉周辺にかけて国指定の鳥獣保護区特別保護地区に指定されています。2016年12月1日より気象庁指定の常時観測火山となっています。
八甲田山 有史以降の火山活動
| 年代 | 現象 | 活動経過・被害状況等 |
| 1986(昭和61)年 | 地震 | 北西山麓で地震多発。8月10~12日。最大は10日17:50、M4.8。八甲田温泉、酸ヶ湯(すかゆ)等で有感、萱野茶屋等で軽微な被害。 |
| 1997(平成9)年 | 火山ガス | 7月12日、北東山麓の田代平で、窪地内に滞留していた炭酸ガスにより、レンジャー訓練中の陸上自衛隊員3名が死亡。 |
| 2010(平成22)年 | 火山ガス | 6月20日、酸ヶ湯付近で、火山性ガス(硫化水素)によって、山菜採りの女子中学生が死亡。 |
| 2011(平成23)年 | 地震 | 地震 3月~ 東北地方太平洋沖地震(3月11日)以降、八甲田山周辺で地震が増加した状態で経過。 |
| 2013(平成25)年 | 地震・地殻変動 | 2月以降、大岳山頂直下付近等で微小な火山性地震が増加。2月頃~10月頃山体の膨張を示す地殻変動。 |
周辺は世界でも有数の豪雪地帯で、明治35年に青森の歩兵第五連隊が雪中行軍の演習中に記録的な寒波に由来する吹雪に遭遇し、210名中199名が遭難死した事件(八甲田雪中行軍遭難事件)が発生しました。それを基に新田次郎の小説『八甲田山死の彷徨』が書かれ映画化もされました。陸上自衛隊青森駐屯地に駐屯する第5普通科連隊は、(遭難死した青森歩兵5連隊の隊員慰霊も兼ねて)毎年厳冬期に八甲田山系での冬季雪中戦技演習を行なっているそうです。
「八甲田山」命名の由来について「新撰陸奥国志」によれば、八の(たくさんの)甲(たて)状の峰と山上に多くの田代(湿原)があるからと伝わります。また、大正時代から昭和時代にかけて活動した宮城県登米郡登米町出身の郷土史家・民俗学者の中道等(なかみちひとし)は、『十和田村史』で菅江真澄の『とわだのうみ』や『いはてのやま』を引いて、1407年(応永14年)の『三国伝記』の「奴可(ぬか)の岳」から、十和田の古称の「糠檀(こうだ)の岳」が発祥したとする説を紹介して、菅江真澄の博識ぶりに感服しています。『三国伝記』では、あるとき、女が難蔵に向かって言うことには「この言両(ことわけ)の嶺の西三里に、奴可(ぬか)の嶺という所に池があり、その池に八頭(やまた)の大蛇(おろち)がいる。私を妻として1月のうち上旬の15日は奴可の池に住んで、下旬の15日はこの池に住んでいるので、今はちょうど来る時期です。心してください」という記述がある。これが、南祖坊と八郎太郎が初めて登場するくだりである(三湖伝説)。この奴可が、八甲田山東部の郡の古名、糠部(ぬかのぶ)郡の由来になり、のちに音読され糠檀(こうだ)の岳に変わったと言われます。これより先に、元禄のはじめに南部藩に逗留した京都の医師の松井道圓の作とされる『吾妻むかし物語』でも、この説は言及されており、菅江真澄は南部藩周遊中にこの本を読んだ可能性があります。糠檀の文字を最初に記録しているのは1731年(享保16年)の『津軽一統志』の中の1536年(天文5年)の『津軽郡中名字』には「津軽と糠部の境、糠檀ノ嶽に湖水有、地神五代より始まる也。数ヶ年に至て大同二年斗賀の霊験堂の宗徒、南蔵坊と云法師、八竜を追出し十湾の沼に入る。今天文五年まで及八百余歳也。」とあり、以来、八甲田の呼び方はコウダとハツコウダ(ヤツコウダ)の2つに大別されます。1645年(正保2年)の絵地図では八甲田山を津軽藩は「かうたの嶽」、南部藩は「高田嶽」としており、共に公式名はコウダだったことが分かります。
八甲田ロープウェー

八甲田連山の田茂萢岳(たもやちだけ)山麓、青森市大字荒川字寒水沢1番地12、標高670.5m地点には「八甲田ロープウェー」の山麓駅が在って山頂駅の標高1320mまでを結び、冬は「八甲田国際スキー場」でのスキー、春夏秋は気軽に山歩きが楽しめます。
◆大岳登山コース ※一般の登山道路でズック靴・登山靴が必要
・山頂公園駅-約70分→赤倉岳-約20分→井戸岳-約60分→大岳-約90分→酸ヶ湯【約4時間】
・酸ヶ湯-約110分→大岳-約50分→赤倉岳-約50分→山頂公園駅【3時間30分】
「八甲田ロープウェー」山麓駅までのアクセス
鉄道経由:JR青森駅から八甲田ロープウェー駅前までバスで約60分。
車:東北自動車道の黒石I.Cから国道394号線経由、29.3km、35~40分。東北自動車道の青森中央I.Cから国道103号線経由、19.1km、28~30分。青森空港から国道103号線他経由、23.8km、31~35分。


