湯河原温泉(ゆがわらおんせん)

湯河原温泉 三輪 湯河原

湯河原温泉は神奈川県足柄下郡湯河原町の千歳川とその上流藤木川沿いに広がる温泉

画像はじゃらんの湯河原温泉「三輪 湯河原」より引用。

じゃらん 湯河原温泉

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湯河原温泉へのアクセス

鉄道経由:JR湯河原駅からバスで約10~15分他。

車東名自動車道厚木ICから小田原厚木道路経由で石橋ICへ~小田原西IC、又は石橋ICを降り、~国道135号線(真鶴道路)を湯河原へ向かい、湯河原温泉入口を右折10~15分。

湯河原温泉の概要

湯河原温泉は神奈川県足柄下郡湯河原町の千歳川とその上流藤木川沿いに沿いに広がる温泉です。数十万年前に活動を終えた湯河原火山の浸食カルデラ内に湧出しています。東日本の温泉で唯一、万葉集の東歌に「足柄の土肥の河内に出ずる湯の 世にもたよらに子ろが言はなくに」と詠まれた、秘湯の趣を持つ温泉場です。関東でもっとも古い温泉の一つで「傷の湯」と言われ、外傷に効く湯として知られています。中世の湯河原温泉は土肥氏ら武士や村人の湯治場として、戦による負傷や石工がけがをした際に、傷の治りが早いとして利用されていました。湯河原温泉へ当時に来た鎌倉鶴岡八幡宮の関係者の手紙に「東土肥こごめの湯へ湯治致す」とあるように、湯治は「こごめ(み)の湯」「小梅の湯」と呼ばれていたようです。

江戸時代の1651(慶安4)年9月、小田原藩主稲葉正則公が湯河原温泉に入湯したと「永代日記(藩の日記)」に記録が在ります。これは湯河原温泉についての江戸時代最初の記述です。後に幕府の老中も兼任した正則公は藩主在位50年。生来病弱な公が長寿を保てたのは温泉効果も大きかったのでしょう。「永代日記」は湯河原温泉を「小梅(梅の誤記)之湯」と記し、河原に湧き出る泉源=湯元に造った入浴用の湯坪=浴槽として「本(もと)湯」があったことを記録しています。約20年後の1672(漢文12)年、温泉が湧いていた地域は宮上村となり、村明細帳に「湯ヶ川原」の地名が初めて登場します。以後、湯河原温泉と呼ばれるようになったものと思われます。湯河原温泉は河原から自然湧出していたので、大水が出るたび源泉が変わり、それまで三カ所あった共同湯坪は流されたためこの頃は一つ(先の本湯か?)だけでした。その共同湯坪を「村湯」と呼び、村人の共同財産としていました。元の源泉地帯は、落合橋からレトロな風情の漂う元湯通りにかけてです。

明治以降は文豪に愛され、国木田独歩が晩年に『湯河原より』『湯河原ゆき』などの短編小説を執筆したほか、夏目漱石が絶筆となった『明暗』を湯河原で執筆しました。また島崎藤村、芥川龍之介、谷崎潤一郎らも訪れています。首都圏から近いので、春は新緑、6月は蛍、夏は湯河原海水浴場、秋は紅葉、みかん狩り、1月下旬からは梅と、年間を通じて観光を楽しむことが出来ます。

湯河原温泉の泉質等と適応症

泉質等

ナトリウム・カルシウム- 塩化物・硫酸塩泉(旧泉質:含石膏-(弱)食塩泉)、カルシウム・ナトリウム-硫酸塩・塩化物泉(旧泉質:含食塩-石膏泉)、ナトリウム・カルシウムー塩化物泉(旧泉質:含土類ー食塩泉)、カルシウムー硫酸塩泉(旧泉質:石膏泉)、単純温泉(アルカリ性単純温泉を含む)、源泉数109、湧出量約7,100ℓ/min、源泉温度26~88℃など、pH6.8~8.8など、低張性(弱)アルカリ性高温泉。無色透明、無味~微塩味~弱酸味、無臭~硫化水素臭。加水、循環濾過、塩素消毒、源泉掛け流し在り。

適応症

浴用 神経痛、筋肉痛、関節痛、疲労回復、冷え性、打ち身、慢性消化器病、切り傷、やけど、動脈硬化症、慢性皮ふ病、慢性婦人病、美肌など

飲用 不可

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