道後温泉(どうごおんせん)

道後温泉は四国の愛媛県松山市道後湯之町、松山市街北東に在る温泉


道後温泉へのアクセス
鉄道経由 : JR松山駅からから伊予鉄道市内電車に乗り道後温泉行き終点の道後温泉駅まで約20分など。
空港経由 : 松山空港から伊予鉄リムジンバスでJR松山駅前、松山市駅経由道後温泉駅前行 終点下車、約40分。
車 : 松山自動車道松山I.Cを下り、R33~松山東部環状線経由で約8km。
道後温泉の概要
道後温泉は四国の愛媛県松山市道後湯之町、松山市街北東に在る温泉です。いずれも共同浴場の道後温泉本館(湯之町5-6 ;皇族専用の浴室在り)、椿の湯(松山市営)、道後温泉別館 飛鳥乃湯 (松山市営)の三つから形成されます。日本三古湯(日本書紀、風土記などに登場する当温泉の他、有馬温泉、白浜温泉の三つ)の一つとして有名です。温泉街は道後温泉本館を中心として、市内電車の道後温泉駅までL字型に道後温泉商店街があり、土産物店や飲食店などが軒を連ねている。L字の角に椿の湯が在ります。こちらは地元の人の利用が多いです。温泉本館の北から東にかけて、規模の大きなホテルや旅館街となっており、いくつかの施設前には足湯・手湯が置かれて自由に利用出来ます。夏目漱石の小説『坊つちやん』(1905年)にも描かれ、愛媛県の代表的な観光地となっています。周辺にも、坊っちゃん記念碑、道後公園、湯築城跡、湯神社、伊佐爾波神社、宝厳寺、にきたつの道、セキ美術館、松山市立子規記念博物館などの見所が多数あり、一帯が観光名所の宝庫です。「坂の上の雲」関連の秋山家の墓も鷺谷墓地に在ります。
開湯は、日本最古と言われ3000年もの歴史を持ちます。近隣の冠山からは約3000年前の縄文中期の土器・石鏃(せきぞく)が出土しています。開湯伝説は、白鷺伝説や神話時代の大国主命が少彦名命を温泉で救ったものが伝わります。歴史に登場するのは法興6年(596)。聖徳太子が僧恵慈、葛城臣等を従えて道後に療養の為訪れ、伊佐爾波の岡(元の伊佐爾波神社の所在地)に登って風景と温泉を賞して碑を建立したと伝わりますが、今日まで発見されておらず道後温泉最大の謎とされています。「熟田津(にきたつ)に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出な」は、来訪した斉明天皇率いる船団が出港するにあたり額田王が詠んだ歌と伝わります。この他、道後温泉(伊予湯)へは、斉明天皇、舒明天皇、中大兄皇子など、皇室の方々の来訪の記録が残っています。道後の宝厳寺に生を受けた時宗の開祖である一遍上人は、正応1年(1288)、時の領主である河野通有の依頼で湯釜の宝珠に「南無阿弥陀仏」の六字の名号を揮毫したと伝わります。湯釜は現在も残り、湯釜薬師として道後公園に奉じられています。道後温泉の南隣には冠山(かんむりやま)が在り、一角には道後温泉を祭る「湯神社」や菓子の神様である「中嶋神社」が在ります。約3000年前の縄文中期の土器・石鏃(せきぞく)が出土しているので、その年代から温泉が利用されていた事も推測出来ます。
道後温泉の泉質等と適応症
泉質等
アルカリ性単純温泉、pH9.1、低張性アルカリ性高温泉、源泉温度20~55℃(浴槽はこれらを混合して42℃)。源泉数18、源泉掛け流し在り。無色透明、無味無臭。
適応症
浴用 筋肉若しくは関節の慢性的な痛み又はこわばり(関節リウマチ、変形性関節症、腰痛症、神経痛、五十肩、打撲、捻挫などの慢性期)、運動麻痺における筋肉のこわばり、冷え性、末梢循環障害、胃腸機能の低下(胃がもたれる、腸にガスがたまるなど)、軽症高血圧、耐糖能異常(糖尿病)、軽い高コレステロール血症、軽い喘息又は肺気腫、痔の痛み、自律神経不安定症、ストレスによる諸症状(睡眠障害、うつ状態など)、病後回復期、疲労回復、健康増進、不眠症、うつ状態
飲用 -
伊佐爾波神社


湯神社



