浅間温泉(あさまおんせん)

浅間温泉 「ホテル玉之湯」

浅間温泉は、長野県松本市浅間温泉、松本駅や松本城の北北東に在る温泉

浅間温泉 「ホテル玉之湯」じゃらんより引用。

じゃらん 浅間温泉

楽天トラベル 浅間温泉

浅間温泉へのアクセス

鉄道経由:JR松本駅よりバスで約20分など。

車:長野道松本I.Cから車で約20分など。

浅間温泉の概要

浅間温泉は、長野県松本市浅間温泉、松本駅や松本城の北北東に在る温泉で、江戸時代から「松本の奥座敷」と呼ばれています。住宅街に溶け込んで温泉街的景観では有りませんが、温泉会館を中心に、約30軒の旅館と二軒の日帰り専用入浴施設(枇杷の湯、市営浅間温泉会館ホットプラザ浅間)と、「仙気の湯」・「港の湯」・「倉下の湯」の三軒(一般開放されているのは、「仙気の湯」と「港の湯」)の共同浴場が在り、この他各町会(湯仲間)で管理する共同浴場が多数在り、歴史を刻みながらも生活に馴染んだ姿が愛おしく感じます。老舗旅館を泊食分離式に改装するなど温泉街の活性化をめざす新会社「WAKUWAKU浅間温泉」が2020年に設立されました。

浅間温泉には五世紀末のものと考えられる「桜ヶ丘古墳」が在ります。昭和29年に地元の中学生たちによって偶然に発見され、昭和30~32年に発掘調査が行われました。古墳からは、天冠・竪櫛・勾玉・丸玉・小玉・臼玉・直刀・鉄剣・鉄鉾・鉄鏃・衝角付冑・短甲・頸甲と多くの装飾品等が出土し、中でも金銅製の天冠は県の文化財に指定されています(松本市考古博物館蔵)。この天冠は、同時期の朝鮮半島から出土された金銅冠と似ており、当時から朝鮮半島との交流があったことが推測されます。浅間温泉は、古くは、西暦698年の飛鳥時代、日本書紀に登場する「束間温湯(つかまのゆ)」であろうという説も在りますが、南隣に在る「美ケ原温泉(松本市里山辺~大村)」とも言われています。もしかすると浅間温泉と美ケ原温泉を総称して「束間温湯(つかまのゆ)」と言うのかも知れません。浅間の地には天武天皇に仕えていた有力な氏族の古墳が数多く見つかっていることからも、この頃から都にも知られていたことが伺われます。

別の説では、開湯は約1000年前とも伝わります。地元の豪族であった犬飼氏が天慶2年(939年)に発見したことに由来し、「犬飼の御湯」とも称されます。一条天皇の代(986~1011年)に成立した『拾遺和歌集(物名:もののな)』には、「鳥の子は まだ雛ながら たちて去(い)ぬ かひの見ゆるは すもりなりけり」と、「いぬかいのみゆ」を隠して読んだ和歌が掲載されています。江戸時代の慶長年間には松本藩主石川氏が別邸を置き、それより松本藩の保養を兼ねた下屋敷として使用されました。現在の日帰り入浴施設「枇杷の湯」が元の御殿湯(藩政時代湯守が管理していたもので、城主手植えの松や歴史的資料なども公開されています。)です。また、藩士の保養を目的とした御組の湯、柳の湯、御用馬の湯なども置かれていました。元禄年間の『善光寺街道名所絵図』には、内湯や外湯を利用して旅の疲れを慰める旅人の様子が描かれており、善光寺街道に接した宿場として栄えました。明治時代に災害により御殿湯等が被害を受け、近隣の山には植林等の災害対策が施された。 宮家(閑院宮や久邇宮)や文人(若山牧水や与謝野晶子、徳田秋声)らが訪れたことがあります。

源泉は第1号源泉、第2号源泉、第4号源泉、東北源泉、山田源泉、大下源泉、鷹の湯源泉の7カ所が使用されています。旧松の湯源泉は昭和29年頃に枯渇しました。温泉街中心から南東約300メートルを隔てた山林内に未利用の源泉が自噴しています。

浅間温泉の泉質等と適応症

泉質等

泉質:アルカリ性単純温泉、源泉温度:49.7℃、pH8.8、アルカリ性低張性高温泉、湧出量1,506ℓ/min(掘削自噴・動力揚湯)、源泉掛け流し在り。知覚:ほぼ無色透明、無味無臭(第1号源泉のみ微かな硫黄臭有り)。

適応症

浴用 神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・うちみ・痔疾・慢性消化器病・冷え性・病後回復期・疲労回復・健康増進

飲用 可

浅間温泉周辺の神社

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