男鹿半島の温泉

目次
金ヶ崎温泉(かながさきおんせん)

金ヶ崎温泉へのアクセス
鉄道経由 : JR男鹿駅より路線バス男鹿北線で60分で「桜島バス停」に至り下車、徒歩3分。
車 : 秋田道の昭和、男鹿半島I.CからR101に入って男鹿半島方面へ向かい約15km約20分、更に県道59号を約25km約40分。目標物は桜島パーキング。
金ヶ崎温泉の概要
金ヶ崎温泉は、秋田県男鹿市戸賀加茂青砂中台1-466、男鹿半島西海岸の夕日の美しい高台に在る「男鹿桜島リゾート HOTEL きららか」一軒宿の温泉です。キャンプ場も併設されています。小中学生の頃の夏にはしばしば、メバル釣りに行く父に兄と一緒に同行して、県道59号線を2kmほど北上した駐車場(昔はドライブインが2~3軒在りましたが、現在は全て廃業。)から急な斜面を下りた岩場の磯で遊びました。磯の手前には直径1mほどの鉄分の多いにごり湯の野湯が元の金ケ崎温泉です。磯遊びの帰りに入れました。現在「男鹿桜島リゾート HOTEL きららか」へ引湯されている源泉は男鹿桜島(金ヶ崎2号井)です。
金ヶ崎温泉の泉質等と適応症
泉質等
ナトリウム-塩化物泉、pH6.2、中性。源泉温度55.5℃、湧出量270ℓ/min。無色透明、無臭で塩味。
適応症
浴用 筋肉痛、神経痛、婦人病
飲用 -
男鹿温泉(おがおんせん)
男鹿温泉は秋田県男鹿市北浦湯本、男鹿半島の北側に在る温泉

男鹿温泉へのアクセス
鉄道経由 : JR男鹿線「羽立駅」~車で20~40分。
車 : 秋田道の昭和・男鹿半島I.Cを下りて車で約40~50分。
男鹿温泉の概要
男鹿温泉は秋田県男鹿市北浦湯本、男鹿半島の北側に在る温泉です。泉質は塩化物泉、二酸化炭素泉でにごり湯、源泉掛け流し在り。男鹿半島の北側に位置し1000年以上の歴史を持つ温泉郷で、坂上田村麻呂が東征の折に発見したと伝わる湯本温泉や石山温泉を中心に、江戸時代から湯治場として栄えました。秋田藩主の佐竹氏や「民俗学の祖」といわれる江戸後期の旅行家菅江真澄も入浴したようです。湯量は豊富で宿の半数以上が自家源泉。海水の成分に似た食塩を含み、肌に付いた食塩が汗の蒸発を防ぎ保温効果が高まるため、「熱の湯」と呼ばれ親しまれています。「うぉー、うぉー、泣く子はいねがぁ」と奇声を上げて毎年大晦日の夜、恐ろしい形相の鬼がケラミノやハバキを着け、木製の出刃包丁を振りかざして各家々を巡る男鹿の奇習「なまはげ」(国指定重要無形民俗文化財)や、夕日が美しい日本海と変化に富んだ断崖絶壁の海岸線、夜の漁火が観光の魅力。 温泉街には大型ホテルを中心に8軒の湯宿が並び、冬の夜は豪快な男鹿漁師の石焼き料理やきりたんぽ鍋、鰰のしょっつる鍋といった郷土料理が、心も体も温めてくれます。
男鹿温泉の泉質と適応症
元湯雄山閣
泉質等 ナトリウム-塩化物泉、泉温53℃、源泉かけ流し。加水・加温なし、薄緑のにごり湯、浴場の析出物多し。
適応症
浴用 慢性関節リウマチ、慢性筋肉リウマチ(特に腰痛)、神経痛、坐骨神経痛、神経炎、創傷、痛風、尿酸素質、慢性皮膚炎など
温泉旅館ゆもと
泉質等 ナトリウム-塩化物泉(弱塩泉)、泉温42~44℃、源泉掛け流し。薄緑のにごり湯、浴場の析出物。
適応症
浴用 慢性婦人病、冷え性、リウマチ、慢性消化器病、その他
男鹿ホテル(男鹿観光ホテル、網元の宿 男鹿萬盛閣、セイコーグランドホテル)
泉質等 ナトリウム-塩化物泉、pH7.4、泉温55.4℃、源泉名/男鹿温泉1号(温泉名:男鹿温泉)、成分に影響を与える項目/加水・加温あり(季節により最小限の加水・加温)・循環なし・入浴剤等の添加なし・消毒処理(衛生管理のため塩素系薬剤を使用)。
適応症
浴用 切り傷、火傷、慢性皮膚病、慢性婦人病、神経痛リウマチ、慢性筋肉リウマチ、神経痛など
男鹿温泉 結いの宿 別邸つばき
内湯 石山温泉 泉質等 低張性中性高温泉、泉温55.5℃。
適応症
浴用 きりきず、末梢循環障害、冷え性、うつ状態、皮膚乾燥症
飲用 萎縮性胃炎、便秘
男鹿半島
男鹿半島は、秋田市民が日帰りで観光や磯遊びを手軽に楽しめる格好の場所です。ほぼ全域が男鹿市で、その1/3が「男鹿国定公園」、また全域と八郎潟が「男鹿半島・大潟ジオパーク」でもあります。中学校二年の夏には、友人と二人で自転車に乗って日帰りで男鹿半島一周にチャレンジしました。私は父に買ってもらったその頃流行りのセミドロップハンドルで五段変速のなんちゃってサイクリング車、友人は何と変速機なしのママチャリでした。朝7時から土崎を出発し、船越水道の八竜橋を渡ると、寒風山をほとんど押しながら登って頂上の回転展望台で休憩して360℃の景色を眺めました。ダウンヒルを楽しみながら西へ下ってなまはげラインに入ると男鹿温泉郷をかすめて入道崎に至って灯台に登ってから昼食と休憩を取り、八望台で一の目潟、二の目潟、三の目潟を眺めてから戸賀湾を回ると男鹿水族館で休憩と見学。その後は西海岸のアップダウンを四苦八苦しながら門前方面へ抜けて船川駅(現在の男鹿駅)に至り、再び八竜橋を渡って薄暗くなり始めた頃に土崎の友人宅に辿り着きました。また秋田大学在学中(残念ながら中退しました。)は、体育会主催の「今日歩大会」という徹夜で長距離を歩くイベントが有り一年から三年まで毎年参加していました。コースは寒風山の駐車場がスタート地点で、JR男鹿線の線路に近い県道を通って約40km先の秋田大学正門がゴール。バス十数台をチャーターして寒風山の駐車場に集合し、午前0時にスタート。陸上部などは走り続けて3時間ほどでゴールしましたが、一般の学生は語り合い励まし合いながら休み休み歩いて7~8時間かけてゴールしていました。新しいカップルも数多く出来たものです。
寒風山

男鹿半島の入り口には、標高355mの寒風山が在り、寒風山展望台4階の回転展望室からは、南には秋田市から男鹿半島へ続く海岸線で奥には鳥海山が、西には男鹿半島で最も高い本山やナマハゲ発祥の真山・入道崎、北には能代港から世界自然遺産の白神山地、東には八郎潟を干拓した大潟村と、360度の大パノラマが一回転13分で満喫できます。寒風山からなまはげラインを経由して少し内陸に入った真山地域には、真山神社や「男鹿真山伝承館」、「なまはげ館」が在ります。「なまはげ館」では、ユネスコ無形文化遺産に登録され、国重要無形民俗文化財に指定されている「男鹿のナマハゲ」の面や衣装の展示、大型スクリーンによる映画の上映などを行っています。150体以上の新旧のナマハゲが集う展示ホール「なまはげ勢揃いコーナー」は、なかなか迫力があります。なまはげ館の隣にある「男鹿真山伝承館」は、男鹿地方の典型的な曲家(まがりや)民家です。ここでは元来、民俗行事として大晦日のみに地元の人以外なかなか見ることができなかったなまはげ習俗を広く観光客の方にも知ってもらうために、古い伝統としきたりを厳粛に受け継いでいる真山地区のなまはげ習俗が体感できる学習講座を行っています。
滝の頭湧水

高校に入学したばかりの頃、私は一人でサイクリングをして寒風山へ行き、帰りに滝の頭水源を見学しました。滝の頭水源は、秋田県男鹿市五里合鮪川34、寒風山の北北東山麓、男鹿ゴルフクラブの直下の、滝の頭水源浄水場の奥に在ります。10時に管理事務所が開くので、事務所の方に挨拶をして受付所に記名して入場します。一周20~30分のコースです。夥しい湧水量で、あちらこちらからゴボゴボと水が湧き出て流れる音が聞こえて来ます。最奥部の今木神社の下からこんこんと溢れて出る水はき神々しさすら覚えます。
あちらこちらから湧き出して一つの流れとなった水はエメラルドグリーンの小さな湖となり、秋田杉の森に囲まれて静かに佇みます。瀧の頭の水は、一ノ目潟などと同じように男鹿市の水道の水源となっています。道路沿いには無料で給水できる施設があり、休日とには水汲みに訪れる車が行列を作ります。寒風山の下は天然の「地下ダム」のような盆地の地形をしていてそこに水が滞留し、20年以上の時間を経地上に出てくるそうです。ゴルフ場の直下ではありますが、水道の水源として常時水質検査をしているので安心です。
真山神社・男鹿真山伝承館・なまはげ館

男鹿半島西部には真山(569.5m)、本山(715m)、毛無山(677)の男鹿三山が在り、この三山を巡る縦走を修験道では「お山かけ」と言います。なまはげ発祥の地、歴史のある真山神社をスタート。真山麓の真山神社から石段を登って真山→本山→毛無山の三山を巡り、海にほど近い五社堂まで下り、そこから折り返すピストンが正式な修行コースで、距離は往復20kmと歩きごたえたっぷりです。真山山頂には真山神社奥宮、本山山頂には赤神社奥宮と航空自衛隊のレーダーサイト、毛無山山頂付近には赤神社中宮が在り、折り返し地点の赤神神社五社堂(国指定重要文化財)は標高約180m。寒風山から北浦、真山神社周辺の観光には男鹿温泉がお勧めです。
真山神社は、社伝によると十二代景行天皇の御世に、武内宿禰(たけのうちのすくね:記・紀に記される伝説的人物で景行天皇同様実在性は疑問。)が北陸北方地方視察のあと男鹿島に立ち寄った際、男鹿半島の秀峰、湧出山(現在の真山・本山)に登り、使命達成、国土安泰、武運長久を祈願してここに瓊瓊杵命(ににぎのみこと)、武甕槌命(たけみかづちのみこと)の二柱を祀ったことが始まりと言われています。平安時代以降、仏教が日本全国に広まりはじめ男鹿半島にもその波が及んだ貞観年中(859年~877年)には、慈覚大師(円仁)によって湧出山は二分され、北を真山、南を本山と称するようになると、それ以降修験の信仰が高まり、天台宗僧徒によって赤山大明神(泰山府君・たいざんふくん/唐の赤山にあった道教の神・泰山府君を勧請して現在の京都の赤山禅院(せきざんぜんいん)を創建し、比叡山延暦寺守護神とされます。)と習合されました。南北朝時代には、真山の別当が置かれた光飯寺(こうぼうじ)は天台宗から真言宗に転じ、東北地方における時の支配者も移り変わる中、その庇護の下で修験の霊場として一山繁栄を誇りました。江戸時代には国内十二社に指定され、佐竹藩ゆかりの祈願所として数々の寄進崇敬を受けました。それにより、幾多の堂塔伽藍が営まれるようになったそうです。明治維新以後は、神仏分離令が発せられたことで元の神域に復し、名称も赤神神社から真山神社と改められました。それと同時に、秋田県の県社に列格されることになりました。真山神社の山門が仁王像を祀る仁王門であるのは神仏習合時代の名残りです。
男鹿真山伝承館

なまはげ館

赤神神社五社堂

赤神神社五社堂は赤神権現を信仰する修験道場として開け、貞観2年に慈覚大師により堂塔が建立したと伝わります。五社堂への石段に関してはこのような伝承があります。2000年ほど昔に、漢の武帝が5匹のコウモリを連れて男鹿にやってきました。コウモリは5匹の鬼に変わり、武帝は5匹の鬼たちを家来として使っていましたが、一年に一度正月を休みにしていました。鬼たちは喜び勇んで里へ降り、作物や家畜を奪って暴れ、里の娘をさらっていく狼藉ぶりで、困り果てた村人たちは、鬼に掛け合って「一夜で千段の石段を築くことができれば1年に1人ずつ娘を差しだすが、もしできない時には二度と里に降りて来ない。」という賭けをしました。鬼たちは力を尽くして積み上げ、残り一段で完成というところに漕ぎ着けましたが、その時一番鶏の鳴き声が聞こえたため約束どおり諦めて山奥へと立ち去ったといわれています。この鳥の鳴き声は、ものまねが得意な村人が石段完成を阻むために鳴き真似をしたとも、いつも鬼に馬鹿にされている天邪鬼が腹いせに鳴き真似をしたとも伝われます。鬼の来訪と鎮撫にちなんで村人たちが、年に一度正月15日に鬼の真似をして村中を回り歩く様になったのが、ナマハゲの始まりだと言われています。860年(貞観2年)、慈覚大師円仁が当地に来て赤神山日積寺永禅院(永禅坊とも)を創建したのに始まり、1216年(建保4年)、比叡山の山王七社を勧請して造営されましたが、うち2社が廃れたため五社堂となりました。中世を通じて橘氏、安東氏の崇敬を受け、江戸時代に入ると佐竹氏により領内12社のうちに選ばれ、篤く信仰と庇護を受けました。現在見られる五社堂は1710年(宝永7年)建立されました。明治初年の神仏分離、廃仏毀釈で赤神神社となりました。
金ヶ崎温泉「男鹿桜島リゾート HOTEL きららか」は、以上の他、入道崎(海岸段丘の広大な緑地が広がり、入道崎灯台や水島まで遊覧観光が出来る男鹿遊覧透視船があります。)や、八望台、戸賀湾、「男鹿水族館GAO」と、ドライブで観光スポットを巡った後の宿泊や立ち寄り湯もお勧めです。
戸賀湾(男鹿水族館GAOの直ぐ北の戸賀遊覧船乗り場から発着)からは南下する「西海岸 島めぐり遊覧船(Cコース:宮島、鎧嶋、かもめ島(軍艦島)、巨大岩脈、鷹ノ巣断崖、立岩、白糸の滝、大桟橋、孔雀の窟を海から探勝)」秋田湾観光・遊覧船(秋田湾観光(有))が、門前漁港からは北上する「西海岸周遊クルーズ(椿の白岩、館山崎グリーンタフ、帆掛島、ゴジラ岩、鬼の投岩、本山、赤神神社五社堂、門前大滝、竜ヶ島、蝙蝠の窟、舞台島、孔雀の窟、大桟橋白糸を海から探勝)」が出来る男鹿半島観光遊覧船(男鹿遊覧透視船(株))が出ています。いずれも季節、海の状況により運休や欠航が有るので確認が必要です。
男鹿水族館 GAO

男鹿観光遊覧船 大桟橋



